「怒る」という行為は、一般社会の中では、あまり歓迎されないものです。そして怒りを感じること自体、不快感を伴うものなので、怒りは悪いものだと思ってしまいがちです。怒りをそのまま人に向けたり爆発させたりすれば、確かにトラブルを巻き起こすことにもなります。
けれども、怒りは、「何か不全なことが起こっている」という身体の警報であって、怒り自体が悪いものではなく、むしろ私たちの大切で自然な感情のうちの1つです。それに気づき注意を向ければ、私たちはそれによって、まわりの状況や自分の状態を知り、自分自身のために役立てることができます。
怒りを感じることは、自分の内面で起きていることであり、怒りを表すことは、自分の外側への行為であって、その2つは分けて考える必要があります。
内面での感情と、外側への行為を一緒に考えようとすると、怒りを感じること自体が何か悪いことであるかのようになってしまい、無意識に抑制したり、不自然な出し方をする癖がついてしまうこともあります。そんな時には、怒りを感じることと、それをどう表現するかということを、別々のステップで分けて扱うのが効果的です。
「怒るべからず」という戒は、怒りが沸き上がったときに怒りになるなという意味である。怒りが沸き上がり、去ってゆくのを見守るがいい。その原因を見なさい。怒りというのはつねに何かそれより深いものの兆候だ。それは、何か変化が必要だということの外的なしるしなのだ(Sacco, I. Personal communication, nd.)。
私たちは、自分のバウンダリー(境界線)や人権が侵された時に怒りを感じます。怒りを感じると、私たちの脳内にはアドレナリン系ホルモンが分泌され、逃げるか戦うか、という非常にシンプルな反応にエネルギーが集中します。これによって、私たちは自分の身を守ることができるのです。
また、怒りは鮮麗され適切に表現されれば自己主張になり、状況や環境、関係性、社会などを改善する力になったりもします。
自分の怒りをコントロールできない、あるいは適切に表現できないという問題を持っている場合、コントロールや出し方を学んでいくステップは、簡単にいうと以下のようになります。
1)怒りに気づく
怒りは、まず身体の反応に現れます。ドキドキしたり、呼吸が早くなったり、冷汗が出たり、身体のどこかが締め付けられるような感じがしたりします。
怒りを抑える癖がついている人は、怒りを怒りとして感じない場合があります。そのような時は、身体の反応に注意すると自分の怒りに気づきやすくなります。
2)観察する
自分の怒りが、どのような時に現れるのか、そこには何か似たようなパターンがあるか、よく観察します。その大きさや強さは起こったことや状況に対して適切でしょうか。怒りを増幅させる「考え」が頭を横切るでしょうか。
そして、怒りを感じた時、どのように行動するでしょうか。押さえ込むことも1つの行動です。どのようにそれは表現されるでしょう。その表現をいつどこで身につけたのでしょうか。
3)分析する
怒りの背後には、多くの場合、別の感情があります。怒りの根底には常に悲しみや寂しさがあるという説もあります。わかってもらえない、受け入れてもらえない、認められていない、それらの感覚があるでしょうか。
それらは、一時的なものでしょうか。それとも過去に何度も感じたことでしょうか。
4)適切な処理を練習する
自分の怒りを分析すると、それをどのように処理するのが適切かがわかってきます。それは、タイムアウトをかけて沈める方がいいものでしょうか。何か別のことで解消すればいいでしょうか。人にわかるように出した方がいいでしょうか。それをどのように表現するのが自分に最も良いでしょうか。
怒りから引き起こされる行動は、しばしば攻撃性を伴うため、私たちは自分の中の怒りに注意を向ける必要があります。攻撃が外に向かえば人を傷つけ、内に向かえば自分を傷つけます。怒りが常にあると、免疫力を低下させ、細胞にダメージを与えます。
怒りの表現は、人間関係において大切なコミュニケーションの1つです。それが適切に表現されれば、人は、それによってその人の在り方、大切にしているもの、社会に対するスタンス、ポリシーなどを知り、お互いの理解を深めるのです。そしてそれは、それぞれがその都度試しながら学んでいくものなのです。
自分の人間関係に問題を感じたら、自分の怒りという感情と向き合ってみるといいかもしれません。
きっと自分について、より多くを知るキッカケになるでしょう。
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